昨夜のなごり雪が、夜更け過ぎに雨へとかわり、黄色のレインコートを着て歩き出す。入谷を通り、上野駅前にさしかかる頃、再び腹痛。「差込み!」 上野駅コンコースへ入り、atre内のトイレを目指すが、ホームスに占拠されていて使用出来ず、京成上野駅脇へ。寒い!!
一抹の不安を抱えながらリスタート。末広町を過ぎ、万世橋を渡り、淡路町、小川町、錦町を抜け、神田橋を渡る。経団連会館裏を抜け、気象庁前から内堀へ。再び腹痛。平川門を過ぎ、竹橋手前のトイレは改修工事中。が、なんとか治まる。雨も上がる。気を取り直して北の丸公園内を散策(というには、かなりの速歩)して、近代美術館工芸館脇から千鳥ヶ淵、半蔵堀を歩いて半蔵門。坂を下り、桜田門。そのまま堀沿いに歩き、祝田橋を渡り、皇居外苑の内堀通り東側へ。楠正成公銅像前を通り、和田倉御門跡まで歩く。大手町に出て、JRのガードをくぐり、新常盤橋を渡り、江戸通りを進む。本石町、鉄砲町、小伝馬町と古地図にある。鞍掛橋を過ぎ浅草橋御門跡までは、両側に旅人宿が立ち並んでいたようだ。今では、エトワール海渡だらけだが...。蔵前から、国際通りを歩く。春日通りまでは、明治の地図にも道が無い。春日通から先は、近江宮川藩堀田家屋敷にちなんだ浅草堀田原、浅草田原町、さらに浅草新寺町を抜け、千束五差路まで歩く。その先は、やはり戦後の道である。左に入り、帰宅。今でも、寺院の多い町、浅草である。
ところで、黄色いレインコート。息子のお下がりである。かなり目立って何とも恥ずかしいのだが、車やバイクに轢かれないようにと、雨の日には着ることにした。だから、途中で雨が上がったり、明るくなると、脱ぎたくなる...。まあ、誰も私を見ているわけじゃないし、まあ、知り合いに会わない事を願おう。
March 10th 1945 東京大空襲あり。浅草はじめ下町一帯焦土と化し、幾万人もの市民が犠牲になる。 この未曾有の大惨事忘れてはならない...。
命について考え、静かに平和を祈る。
浅草大平和塔:碑文は湯川秀樹博士筆
View Mar 10th 2010 in a larger map
No comments:
Post a Comment