千束五叉路から東進して、待乳山聖天に参拝。山谷堀水門から吾妻橋まで隅田川水辺テラス。吾妻橋から駒形橋までは、水辺テラスがない!!屋形船の船宿が、占有していて、いわゆるカミソリ堤防だけで全くの未整備。街中を進む。駒形橋から厩橋まで再び水辺テラス。駒形橋から蔵前橋までの区間も産業用の桟橋と、東京都の下水処理場が有り未整備だが、広めの堤防で整然としている。街中を進む。蔵前橋を渡り、両国公会堂(現在は未使用)、旧安田庭園、震災記念堂を通り、江戸東京博物館と国技館の間の整備された遊歩道を抜け、両国駅へ。ここで、長男が手洗いへ行く間、暗い中じっと待っていても変ので、駅前を周回する。
回向院まえを渡り、吉良邸討ち入りのあった旧松坂町界隈をまわる。ここから、討ち入りのあと、泉岳寺まで雪道を歩いた赤穂浪士はかなりの道中だったろう。
双葉山相撲道場の看板をかかげる時津風部屋はじめ相撲部屋が多い両国周辺をめぐり、またまた隅田川へ。蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋、言問橋をこし、桜橋を渡る。隅田川右岸の堤防上をを今戸まで上がり、テラスを桜橋まで戻る。ここから、沖田総司終焉の地とされる今戸神社脇を通り、象潟を通って帰宅。
蔵前の東京都下水道局の処理施設は、蔵前国技館の跡地である。学生の時分、取り壊される前の国技館に全校生徒で増位山の引退相撲を見にきた事がある。回向院脇シアターXあたりは、昔の両国国技館があった場所だ。やはり、学生の頃、取り壊される前の旧国技館(当時は日大講堂)で体育祭が行われ、中学一年生の時に「相撲体操」という演舞をしたことが記憶にある。余談だが、中学高校の間、私が体育祭で出た種目は後にも先にも、この相撲体操だけ。すべて音楽部という事で、ずっと楽器の演奏しかしていない。今の国技館は両国駅前に聳え立つ。両国駅も当時は、千葉方面への急行、特急の始発駅だった。
その昔、両国駅周辺は、江戸時代は幕府の御米蔵で、明治になって総武鉄道会社の両国橋停車場、陸軍の被服本廠だったところだ。
すごいスピードで時代が移り変わっていく。何処へ向かうのだろうか?
2時間44分、14キロ、歩数18900(有効16500)ステップ、消費カロリー700Kcal、脂肪燃焼量50g。
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両国:江戸時代
両国:明治
両国:現代
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