Sunday, December 20, 2009

Dec. 20th Today's Walking

4時40分、スタート。ほとんど、昨日と同じコース。鶯谷、不忍池、上野公園、浅草寺、隅田公園。やはり、河辺テラスに下りて、隅田川を上る。昨日と違うのは、隅田川の水面が、鏡のようだったこと。桜橋を過ぎて、一隻の釣り船が川を下っていくと、波が跳ね返り、相互に干渉しあい、千住の鉄橋に到るまで、再び静まり返ることはなかった。昨日の写真と、今朝の写真を比べるとよくわかる。

隅田川沿いを歩いていると、いくつも気になることがる。そのひとつが、水辺テラスの未整備区間。東岸の吾妻橋下流、白髭橋上流。同じ船宿の屋形舟が停泊していて、未整備。河川の管理は国土交通省、テラスの管理は東京都。いろいろな権利問題があるのだろうが、他の船宿はきちんと整備されたテラスに専用の桟橋を有していて、一般の利用者も気持ちよく利用出来ているのに...。ほかにも、数カ所未整備区間があるが、殆どが桟橋がらみのようだが、実際のところは、全く分からない。
言問橋、桜橋、白鬚橋、水神大橋、千住汐入大橋とすぎ、隅田川と分かれる。千代田線の操車場を過ぎ、JR貨物の隅田川駅脇を南千住まで(ドナウ通りと書いてあった。)南千住駅前には、ドナウ広場があった。荒川区とウィーン市ドナウシュタット区と姉妹都市提携をした、記念の命名らしい。

街歩きをしていると、歴史を垣間見れるのでとても面白い。至る所に歴史あり。
南千住の再開発されたエリア『汐入地区』。明治には、水運と鉄道を利用した石炭の集積場として地域である。いまは、高層マンションが立ち並ぶニュータウンである。名残として、旧水門の跡や、現在も利用されているJR貨物の隅田川駅がある。
南千住駅を抜けると、東側の再開発されたエリアと一転して、旧街区に出る。山谷通り、通称コツ通り(旧奥州街道)を渡る。線路脇に、小塚原回向院がある。ここらは、小塚原(こづかっぱら)の刑場跡。江戸時代、浅草山谷町と千住宿の間の町並みの途切れていた場所だったそうだ。ここでは、明治に廃止されるまで火罪、磔、獄門などの20万人以上の刑罰が行われ、時に刑死者の遺体を用いて、刀の試し切りや腑分け(解剖)も行われたそうである。『解体新書』で有名な杉田玄白の記念碑もある。吉田松陰、橋本左内ら幕末の志士や、ねずみ小僧の墓所もあった。常磐線の線路で、区分けされたが、向う側には首切地蔵もある。

国道6号線(日光街道)を渡ると、三ノ輪。商店街をしばらく歩き、都電沿いに戻り、都電三ノ輪橋駅。再び国道を渡り、投げ込み寺と呼ばれる浄閑寺。吉原の遊女やその子供の名前を記した、寛保3年(1743)から大正15年(1926)にいたる、慈十冊の過去帳が現存する。目黄不動(永久寺)をへて、大関横丁から国際通りを進み、長国寺、大鷲神社前をとおり、帰宅。

4時間、18.55キロ、およそ27000歩。寄り道の多い日曜のウォーキング。


View December 20th 2009 in a larger map

現在の南千住付近

















明治の南千住付近

















江戸時代の南千住付近

No comments: